ライブラナチュテラピー株式会社 社長ブログ
ライブラナチュテラピー株式会社
アロマテラピーブランド「ライブラナチュテラピー」商品の製造販売やサロン運営、「ライブラ香りの学校」の運営など、全国を拠点として「セラピー」「癒し」をお届けしています。
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カテゴリ:アロマの履歴書( 21 )
 
アロマの履歴書(20) 社団法人化
2005年、日本アロマテラピー協会から、社団法人日本アロマ環境協会へ、後に社団法人改革により、2012年に公益社団法人の道を歩む事になったこの団体は、いまや日本のみならず、世界でも最大規模のアロマテラピー団体となった。
任意団体であったアロマテラピー協会の理事会は、団体規模が大きくなるに連れて、税務上のリスクや、理事の責任、そして何より、資格をより公的なものとしていきたいという理由から、早期の社団法人化を探っていた。
そこで問題は、社団法人化の可能性のある省庁の見極めだった。
ホビーやエステのように経済産業省か、柔道整復師のように文部科学省か、そしてセラピーの王道をいく、厚生労働省か?で、議論がなされていた。
多くの理事は、真っ向から厚生労働省にあたっても芽はないとみていた。
鍼灸業界の手前、医業類似行為の壁が厚いとみえたし、手技療法として先行し、はるかに大規模なエステテック業界も、厚生労働省と結ぶことができなかったのだから、アロマテラピーはさらに治療とみなされ、逆鱗に触れて業界自体の存亡にかかわるような事態すら予測される状況だった。
その折、環境省に臭気対策をすすめる団体、すなわち「悪臭」の団体があるという情報から、植物のいい匂いを扱う、アロマテラピーはどうかとのアイデアが、どこからともなく聞こえてきた。
事務がたのキャリア組に、スクールエデュケーションプロジェクトのテキスト冒頭の「地球のあしたのために」という文章が好感を得て、環境省は前向きな空気だということだった。
この文は後にアロマテラピー検定のテキストの前書きにも転載される事になるが、私の書いた人生最高の入魂の1ページだったのである。
私はそれを誇らしげに感じたが、それに浸る間も無くもう一つ閃いた。
そうだ、環境大臣は兵庫県出身で我が選挙区選出のK大臣だ。
私は、あまりのタイミングに自分の置かれている立場に身震いした。
私はすぐ、大臣の同級生の私の知人Y氏に電話をすることになったのである。
その後はご存知のとおり、社団法人日本アロマ環境協会の誕生となるのである。大臣は実は我が母校、関西学院の同窓でもあり、東京での同窓会でお会いする機会も得た。
このように、めでたく任意団体、日本アロマテラピー協会は、政府公認の日本アロマ環境協会へと生まれ変わることになった。私は役員、監事に就任した。
私にとっての最大の喜びは、ライブラの多くの卒業生が取得し、将来にわたっての生徒たちが目標とする資格が、日本政府により認められたことであった。

今回をもって、アロマの履歴書は最終回とさせていただきます。
今までのご愛読に感謝いたします。

このシリーズの内容は、日本のアロマテラピーを開拓し、黎明期のアロマテラピーを支えてきた、人生の先輩方、ビジネスの先人達に敬意をもって、その業績を伝えるための記録です。

プライベートや内部に触れている箇所もありますが、誹謗中傷にならぬよう配慮しております。

日本のアロマテラピーを築いた皆様にこのシリーズを捧げます。
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by libranatutherapy | 2014-07-07 17:49 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(19)スクールエデュケーションプロジェクトから香育へ
1999年、成功か失敗か?ひやひやしながら始まったアロマテラピー検定は、11月の実施をもって、なんとか成功といえるものだった。初めは1千万以上の赤字を覚悟して始めたのだから、上々の船出となったとおもう。
いまでは、30万人近い人が受験し、さらに進行形のこの検定は、今では協会の屋台骨となっているというのは、奇跡のようだ。

もちろん、資格関係者だけでなく、事務方の貢献も大きいとおもう。どんどん大きくなっていく、協会の事務をいち早くシステム化し、大規模な会の成長に先鞭をつけたのは、当時の事務局長の北原氏の功績とおもう。

一般の人々を対象にしたアロマ検定の成功に続いてはじまったのが、スクールエデュケーションプロジェクトである。未来のアロマセラピストや愛好家を、こどものころから育成しようというものである。

時期を同じくして学校完全週休二日とゆとり教育に呼応して、中高生のためのアロマテラピー教育を始めようという声があがった。スクールエデュケーションプロジェクト(SEP)と呼ばれる事業である。

このSEPの発案者は、同じく常任理事の市辺さんだった。はじめ常任理事会は、何のためにするのか、協会に利益はあるのか?と、懐疑的だったが、インストラクター資格者の活用、将来への長期的な視点で、とうとう論破して理事会を通過させた。市辺さんは神戸の政次さんん、そして私とともに、関西からでていた。関西対関東ではないが、いつも大政翼賛的になりがちな会議にアンチテーゼを提供し、あるべきバランスに導く役割を持っていた。特に京都の市辺さんの存在感は大きく、さすが1000年の都の学識を感じさせた。彼は日本アロマセラピー学会と協会をつないだキーマンでもあった。そんな中高生向事業を主導し、地道な努力と発足以後10年以上にわたって、この活動を文字通り、育て上げ「香育」として普及させたのは、リベレーション社長の小知和さんだった。小知和さんは子育てまっただ中の母親であり、本当に熱心に取り組まれていたと思う。私は彼女に頼まれて、SEPのテキストを編纂することになったのである。

いかに、面白く中高生の興味を引くことができるだろうか?
私は考えていた。その時、いつも資格制度の委員として私にいろいろな意見をくれていた、シュタイナー教育の実践者として有名な宮川明子さんが私に、「中高生を子供扱いしない方がいい、結構レベル高いから・・」と、助言をくれたのは大きかったとおもう。

いま、アロマテラピー検定のテキストの巻頭に書かれている
「地球の明日のために/私たち現生人類であるホモ・サピエンスは・・・・」から始まる、人類と植物の大河ドラマさながらの文章はこの時生まれたのである。



いまや多くの人が知っているこの文章は、中高生に何を伝えるか??というテーマについて、悩みに悩んだ末に、ふと光が降りてきたような感覚で書き上げた文章である。

植物と人間の関係、人類がいまも抱え続ける戦争や資源、環境の問題。それらを愛と信頼によって克服し続けてきた先人の努力。その素晴らしい遺産を引き継いでいるのが我々若い世代であり、これからもそれに挑戦し続ける、という大上段に構えた文章である。

はじめはSEPのテキストだけに掲載されていたが、検定テキストの改定の際に、検定テキストにも掲載されることになった。

私は自分が創作した文章のなかで、いまだに生涯を通じてこの文章が一番気に入っている。是非、このアロマテラピー検定のテキストのはじめをご一読いただければ、光栄の至りである。

この中高生に向けたメッセージが、のちに、協会が社団化されるためのきっかけになろうとは、だれが想像できたであろうか。
この文章はやがて環境省のお役人の目にとまり、アロマテラピーは環境問題の教育に貢献できる可能性があるというインスピレーションにつながったに違いない。

SEP(香育)から始まるこの、「天から降りてきた文章」は、その後のアロマテラピー界を大きく動かすことになるのである。


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SEP(香育)テキスト
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by libranatutherapy | 2014-01-11 22:31 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(18) アロマ界の2000年問題
前回のIFA訪問のエピソードの中に、RQA(Register of Qualitified Aromatherapists) と、ISPA(International Society of Professional Aromatherapists)について書いた。前者はロバートティスランドが、後者は、シャーリー・プライズが率いる、営利的アロマテラピー団体だった。この両者とIFAの違いは、営利的であったことだ。IFAはチャリティ(非営利)である。

この二人のリーダーは、元はIFAのメンバーだったが、そこから独立する形で独自の団体を立ち上げて、それなりの規模や組織となっていた。

英国政府が、前出のNOSをまとめる頃には、すでに、政府からも認められる組織となっていて、英国政府は、IFAとRQA,ISPAを、並列のアロマテラピー団体として位置づけていた。そしてその上部組織である、AOC(Aromatherapy Organization Council)という団体に統合していた。

この統合には、政治的な理由もあった。当時の英国政府は、代替補助的医療の団体をつくって、この手の療法を管理しようとしていた。

BCMA(British Complementary Medicine Association)という組織にアロマテラピー団体の統合組織、AOCをまとめる必要性があったのだ。

BCMAには、アロマテラピーのほか、レイキヒーリングや、カイロプラクティクなどもあったと記憶している。

そのAOC傘下の団体である、RQAとISPAが、1997年ごろまでに、経営難に陥り、多額の借金を抱えてしまっていたのである。


AOCはそれを放置するわけにもいかず、非営利団体でありながら、経営のしっかりしていたIFAに救済するように要請してきた。
IFAは、政府の要請を断るわけにもいかず、2000年をめどに、両団体を吸収合併して、
IFPA(International Federation of Professional Aromatherapist)として再出発するはずだった。

しかし、黙っていられなかったのはIFAの古参のメンバーたちだった。

「金欲しさに、勝手に家を出たものを、金がなくなったからって、借金肩代わりなど、虫が良すぎる」
と大反対したのだ。

イブ・テーラーやジョアンナ・ホアなどの会長経験者は、当初から反対を表明していたが、若手メンバーの推進があって、IFAはIFPAに傾いて行った。
ところが、IFPA発足時に、古参メンバーたちは相次いでIFAを出て、新生IFAとして再結成したのである。実際にはIFAの旧メンバーは、残留組と新規のIFPA参加組に割れることになったのである。

また、IFPAは、メンバー数を確保するために、IFAメンバーをIFPAメンバーとの両立(並立)、すなわち、IFAに籍を残したままのIFPA参加を認めたために、両方の協会に属することになる会員もいた。

実は、この手の並立メンバーは、かなり多い。

これが、英国アロマテラピー界の2000年問題である。
あれから、10年以上の歳月が流れるが、IFPAは、当初の目論見にかなわず、あまりニュースを聞かないこの頃である。また、AOCは解体し、英国政府の代替補助医療にかんする取組は、EUの統合問題とともに暗礁に乗り上げたようである。

一方で、今日、IFAは中国や韓国、台湾、シンガポールに広がり、躍進を続けているのである。

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ライブラ香りの学校芦屋校(当時)に、IFAの試験官として来訪したジョアンナ・ホア元会長と私。撮影場所は、ライブラナチュテラピー西宮本店
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by libranatutherapy | 2013-12-17 15:44 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(17) アロマ資格制度誕生秘話③ アロマセラピスト資格
1999年私にとっては、アロマテラピー検定の成功のカギを握る年となったが、一方、大切な仕事も並行してのこっていた。アロマセラピスト資格の立ち上げだった。

少し記憶が薄れてきているが、98年の暮れだったとおもう。
私は、アロマセラピストの資格制度を調べるために、ロンドンの国際アロマセラピスト連盟(IFA)の事務局を訪問した。当時のIFAは、経営破たんに陥ったRQAとISPAを合併により救済するということの是非をめぐって揺れていた。
そのとき、出会ったのが、いまでは厚意にしてもらっている、事務局のポーリン・アレン(現IFA、CEO)だった。

これは当時のAAJ(現AEAJ)の常任理事としてではなく、非公式かつ自前の訪問だったが、訪問の目的は、アロマセラピストの規定書を手に入れることだった。このときIFAでは、シラバス(カリキュラム)を手に入れ、さらにNOSと呼ばれる規定書があると教えられた。

当時の英国のアロマセラピストは、日本いう労働省のような役所において、National Occupation Standard( NOS 英国職業標準書)という文書によって規定されていた。
私は、ロンドン市内の政府のオフィスでそれを50ポンドほどで購入できた。NOSには、解剖学などの知識を学ばなければならないこと、安全衛生上の項目、そして法規の遵守などがかかれていたが、おおむねIFAシラバスと同様だった。

またこれらの書類は、私たちスクール委員会が草案をねっていた内容とほぼ一致するもので、いずれの国も同様の思考プロセスを踏むものだと、ある種の驚きがあったと同時に、自分たちが考え練ってきたカリキュラムに自信を深めたのである。

1999年4月だったとおもう、検定制度のゴーサインとともに、スクール委員会は資格制度委員会とスクール委員会に分離され、2つの委員会に分業になった。そして、私は検定の立ち上げに責任を持つ担当常任理事となり、委員長を後任に譲ったが、引き続き資格制度委員会に所属し、アロマセラピスト資格の発足に立ち会うことになる。

いまから、思えば、あのIFA訪問が、スクール委員会が練ってきた内容の妥当性にお墨付きを与えたというわけであった。
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by libranatutherapy | 2013-12-15 13:11 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(16) アロマ資格制度誕生秘話② アロマテラピー検定 <後編>
アロマテラピー検定制度が剣もほろろに却下された理事会から一転、次の理事会では、認めてもいいという空気が流れていた。前の理事会を、私は欠席してしまっていたので、少し緊張気味で臨んだ。そして、議事が私にまわってきた。理事会の出した答えは、実施する限りはスクール委員会事業ではなく、協会事業として、協会を揚げて推進するということだった。その後の総会で、私はスクール委員長を高橋克郎さんに引き継ぎ、その1年間、検定担当の常任理事となった。決まったのが3月、11月には実施するという過密スケジュールだった。

まずは、教科書の編纂で、期限は99年9月の出版である。その月に教科書の出版とともに、全国的な告知に入る。告知、広告は、梶原委員長の担当である。まさに、遅れが許されないタイトスケジュールで、私は、自分のスクールの生徒OBなどのボランティアを募のり、大阪のスクールの教室で編集会議を幾度となく繰り返し、編集作業に没頭した。

99年8月、実質3か月の編集作業の末、やっと色校正はまでこぎつけた。普段編集の仕事をやっていないものにとって、テキストレベルの校正は結構むずかしい。本と同じの色校正のかたちなってやっと、その気になるため、色校正とはいえ、文字の修正はモグラたたきのように繰り返された。このとき、活躍したのは高橋勝郎さんだった、かれは理科系の技術者で緻密なことが得意だったのだろう。私が見つけられない間違いを、最後までよくつぶしてくれた。そして、9月めでたく初版本が完成したのである。

この初版は、2年ほどのちに、改定されることになるが、イラストや各章の導入文、現在の環境関連の記載以外は、ほんんど現行のテキストの原型となって、いまも生き続けている。後付には、この編集にかかわったすべての人の名前が記されていたが、その後の改訂版で、「日本アロマテラピー協会編」という一言にとってかわられた。今は名もない人々の汗の結果として出来上がったテキストであった。

その11月、記念すべき「第1回アロマテラピー検定」が実施された。アロマの本国、イギリスにも存在しない、世界で初めてのアロマテラピーに関する公開試験となったのである。

この検定なくして、いまのアロマテラピーを考えることはできない。それどころか、いまの健康ブームを牽引してきたも、アロマテラピーの普及であったのではないだろうか?

無名の関係者たちに思いをはせてみたいものである。


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by libranatutherapy | 2013-12-04 09:14 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(15) アロマ資格制度誕生秘話② アロマテラピー検定 <前編>
1998年、スクール委員会では、アロマセラピスト資格についての議論が交わされていた。
一方、アロマテラピーを大規模に普及し、社会に浸透させるというプロジェクトが協会では進行していた。大規模普及プロジェクト委員会である。
雑誌の広告、テレビ番組制作の働きかけなど様々な施作が検討されていたのである。

当時スクール委員会は多忙な委員会で、毎月開催されており、常任理事である委員長が、理事会での話題を報告するところから始まるというのが通例だった。
年末押し迫ったころ、私は大規模普及の話しを委員会の話題にしていた。そのとき何気ない雑談のなかで、委員の窪山さんから面白い意見が飛び出した。

「アロマも検定みたいな、誰でも受けられる簿記検定的なのにできないかな?」だった。

私は衝撃を受けた。

当時のアロマテラピーアドバイザー制度は、入会後でないと、資格を取ることができなかったために、資格の前に入会というハードルがあったのだ。

入会の為には、ある程度アロマや協会への理解が必要となるために、アロマテラピーを教えている認定校に入って勉強した人がその道を進むということだったので、当時会員のほとんどは、認定校の卒業生だったのである。

認定校が一生懸命説明して、入会を勧誘し、会員にする。このシステムは、エステティックの業界でも、ネイルの業界でもその方法をとっていたし、大きな疑問はもっていなかった。

ところが、アロマを楽しむということは、一部の職業の人に限られない。むしろ、アロマを安全かつ健全に普及するには、雑貨店で、アドバイザーが説明するのも大切だが、消費者である一般の人が学ぶべきものなのだ。しかし、委員会では、なんとなく現実離れしているよね、無理よね。という空気がながれ、この話題は一旦は忘れられることになる。

そしてそれから、数週間経った1998年暮れ、私は阪急電車のドア横の広告に、色彩検定が掲示されているのを、ぼんやり眺めていた時である。

「アロマも検定みたいな・・・」の窪山さんの言葉がよみがえってきたのである。

色彩(カラー)とアロマは案外似ているな、と前から思っていた。
双方とも、色そのものや香りそのものが役に立つというより、他の商品に付加されて活路が開けるものだから、私は日頃、両者は良く似たポジションにあると思っていたのである

。「色彩検定10万人達成」私はその文章に驚愕した。

色なんて言うつかみどころのないものの知識に10万人もの人が興味をもつなんて。と、いうか、去年はこれ数万人だったよね。という「?」の文字が頭に浮かんだ。そう、たった一年で何倍にもなっている。

私は天から降ってきたインスピレーションに興奮した。そうだ、大規模普及はこれしかないという確信だった。頭の中で、アロマの検定が電車の中吊り広告となって踊っているのが見えた。これがアロマテラピー検定の最初のヴィジョンのだった。

年が明けて1999年、私はアロマテラピー検定の私案をもって、大規模普及プロジェクト委員会の委員長、梶原さんを訪ねた。

ニールズヤードのお店は今とは違い、表参道から少しはいったとこにあった。そのお店の横の教室で、私が大規模普及に口出しするのは越権行為ではあるが、スクール委員会としてこの制度をやってみたい。ひいては大規模普及につながるかもしれないことを、熱く語った。

梶原さんはセンスのいいビジネスマンである。
へんな縄張り意識よりも、協会の発展に目が向いていた。「いいね。いいと思うよ。やったらいいよ。」という返事だった。

私は彼のビジネスセンスや、マーケティングセンスをいつも羨望していたので、その言葉は、単なる了解という意味よりも、これは絶対に成功するという神の宣託のように聞こえたのである。

(つづく)
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by libranatutherapy | 2013-10-02 19:46 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(14) アロマ資格制度誕生秘話①アドバイザーとインストラクター
精油1%の希釈基準、これは、日本のアロマ界では、よい意味でも悪い意味でも大反響だった。ある意味、アロマテラピーアドバイザー制度というのは、1%基準を浸透するためにあったといっても過言ではない。
そもそも、アドバイザー制度とは、阪神淡路大震災後の癒しブームによって、急速に広がった精油販売が拡大したことに始まる。一般の知識を持たない人々に対し、

①精油の安全な知識を事故を未然に防止し、アロマの社会的な評判を守ること
②アロマテラピーは、医療とも混同されやすいので、医療行為まがいのことをすることのないように告知する。

これが、アロマテラピーアドバイザー制度の目的であった。その中で、前述した1%の意義が大きな役割を果たしたのである。

アドバイザーの次に矢継ぎ早に発表されたのが、インストラクダー制度であった。

意外かもしれないが、このようなアロマテラピーのインストラクターという資格は、日本独自の資格制度であり、本場イギリスにはそのような資格制度はなく、アドバイザー制度もなかった。

英国では、ショップで精油を買うことは一般的ではなく、ほとんどが自分をケアするアロマセラピストから購入するという習慣が定着していた。そのため、使用上の注意や、使い方の指導は、アロマセラピストの仕事だったのである。


一方日本では、ハーブやポプリ教室といった文化教室的な分野からアロマテラピーが広がった。ハーブショップの店頭で行われるカルチャー教室として広がっていく中で、その場所を提供していたハーブショップがその販売を担っていたわけだ。ハーブショップは、雑貨店の一種なので、特別な資格のある人が販売するわけではない。もちろん、オーナーはよく勉強していることが多いが、販売員はアルバイトで知識がない。

そこで、アドバイザー制度が始まったのである。

カルチャー教室が、スタート地点であったわけであるから、当然、カルチャー(分化)として、アロマテラピーを教える先生が必要である。

それが、世界に類を見ない、アロマテラピーインストラクターという資格として具現化する。

アドバイザーせよ、インストラクターにせよ、日本独特のアロマ分化の醸成から、市場が拡大し、いまの巨大なアロマ市場にまで成長したことを思うと、あのころ、すごいことをしていたのものであると、感慨深い。当時、まだ、私は若干35歳の常任理事、スクール委員長であった。
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by libranatutherapy | 2013-07-04 10:53 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(13) 精油希釈率の1%基準
いまでは、アロマ界の常識となったトリートメント時の希釈率1%。
これがきまったいきさつを知っている人はごく限られている。1996年に、アロマテラピーアドバイザー制度発足に向けて集まったスクール委員会で議論されたものであるから、当時の委員だけということになる。そして、その委員会の責任者は委員長の私だった。

もちろん議論は当初より迷走した。

当時、アロマテラピーの文献はほとんどが英国のアロマセラピストの著作で、トリートメント時の精油の濃度は2.5%ないし5%というのが常識とされていた。また特別な注意を払えば10%まで濃度を上げることもある、というのが英国流の書物の教えるところだった。

日本アロマテラピー協会としての公式見解で、責任を問われる数値、ということになるだけに、慎重な意見も多かった。

議論のポイントは、

①英国のいう2.5%や5%が安全という根拠はなんなのか?

②今回のアドバイザーというのは、入門的な資格であって熟練したアロマセラピストと同等の経験があるとはいえない。

③そもそも、50種類以上もある精油を、単一の濃度で定められるのか。精油ごとに決めるべきではないか。

などの激しい議論が繰り広げられたのである。

協会が大きくなったいまも、あまり変わらないように思うが、当時の協会の年間予算はすべてあわせても300万円程度、自力で安全性試験などする力もなく、文献に頼るほかに、手段はなかった。

また現在のようにインターネットで世界各国の情報を集めることもできない時代で、わずかに出版されている書物が唯一のデータソースだったのである。


当時のフレグランスジャーナル社の出版物は、たしかに厳選されていたようにおもう。その時代に必要な情報がタイムリーに雑誌や単行本として出版されていた。そのなかでも、私たちが最もつかったのが、ロバート・ティスランド氏の「精油安全性データマニュアル」だった。この本は現在絶版になり、改定版が精油安全性データガイドとして出版されいる。

精油安全性データマニュアルには、ティスランド氏が行った一部動物実験を含むデータには、妊娠期や糖尿病、てんかんその他、注意すべき疾病への使用の是非や、危険と思われる濃度などが記載されていた。

また、それに加えて、三上杏平氏が雑誌(アロマトピア)に掲載していたIFRA・RIFMのモノグラムも大いに参考になった。こちらの数値は、ティスランド氏の研究のような詳細さはなかったが、国際的な化粧品工業会の基準ということで、信頼性が高かった。もちろんそれは、一部の精油に限ったことであるにしても・・である

それらの文献に記載された濃度をみると、危険と書かれている精油でも5%や7%程度の濃度でなければ、安全に使用できるとされ、一部はそれより低い濃度の2%や1.5%などの記述もあった。このあたりになると、英国の2.5%の基準は危険かもしれない領域に入ってくる。

しかしながら、ある程度刺激が強いといわれるものでも、1.2%とか、1.5%のレベルであるものも、多く、仮に1%を基準とすると大半が安全領域としてカバーできることがわかった。

しかし、やはりペニーローヤルやサッサフラス、サザンウッドなどの毒性の高い精油はそれに当てはまらない。とすれば、大半をカバーできる濃度を定め、危険性油を除外するしかないという方向性でまとめられたのである。

このようなプロセスを踏んで、危険性油のリストアップを始めたのだが、「避けるべき精油」というのは、いったいどの範囲なのか?自分たちが知らない精油も、販売されているかもしれないなどといった、疑念もわいてくる。そこで、危険な精油を除外するのではなく、むしろ安全で使いやすい精油を選んで推奨したほうが、現実的だった。

それが現在、資格試験の対象となっている30種類の精油である。

ここで、さまざまな議論の末、委員長判断により1%で決定することになった。
もう一度、1%基準についてまとめておきたいと思う。

①1%であれば、一般的に使われている精油の大部分をカバーできるので、トリートメント時の希釈率は1%が妥当である。データより内側の安全性を重視した数字となった。

②また、一律1%は覚えやすく、普及しやすい。

③市販される精油は、基準設定以後も新しい種類の精油が販売されるかもしれないので、危険精油を除外すると同時に、安全性の高い指定精油を定めるべきである。これが資格試験対象の30種類ということになった。

1%基準は、さまざまな反響を呼んだ。英国のセラピストたちからは、1%では効かない、などという意見の多く聞いたし、薬理作用が濃度に比例すると考える人々からは、それではアロマテラピーでないとも揶揄されたこともある。

このように、暗中模索のなか定められた1%で基準であったが、あれから15年以上の歳月を経て、日本のアロマテラピーが爆発的に拡大したにもかかわらず、重大事故がおこっていないことは、私はその決定が正しかったということを自負している。
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by libranatutherapy | 2013-04-14 01:28 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(12)表示基準適合精油制度
2012年10月5日(金)、昨日のことであるが、悲しい知らせが届いた。日本のハーブ、アロマテラピーの発展に大きな足跡を残した、サンファーム商事の尾上豊さんの訃報である。

尾上さんは千葉県大多喜村のサンファームとともに、サンファームブランドの商品を扱う商社、サンファーム商事を東京で立ち上げられた人物である。

サンファームは、今を思えば不思議な会社であった。農園本体は千葉県、フランチャイズの三春サンファーム、そしてサンファーム商事、それから兵庫県香寺町の関西支部があった。関西支部はその後、香寺ハーブガーデンとして活動し、サンファーム商事もそれらとは独立した会社であったのだが、同じサンファームブランドを扱っていた。

それはさておき、尾上氏はロバートティスランドブランドの精油の輸入元として英国に太いパイプをもっていた。私は尾上さんとロンドンで合流し、チェルシー・フィジック・ガーデンにご一緒させていただいたことがある。

尾上さんは、イギリスのハーブ植物療法の通信講座を手掛けられており、ロンドンでは、いろいろな方をご紹介いただいた。その一人に、著名なアロマセラピストであるイブ・テーラーがいた。
いまも、イブ・テーラーさんとは親交が続いているが、そのきっかけを与えてくださったのが尾上さんであった。

彼はアロマテラピー協会の創設者のひとりであり、スクール中心の協会運営に突き進む私の手綱をしっかりにぎって、バランス感覚のある意見を言う方で、いつも、尾上さんの鋭い指摘にタジタジのこともおおかった。

とても温厚な性格で、人柄のよい性格で、皮肉を柔らかく笑顔で伝えることでは、名人であったように思う。


自らは、精油委員会の委員長として、精油の生産地、学名などの属性データや、PL法に基づく注意警告表示の徹底を、「表示基準適合精油」として認定することを発案され、推進された。

精油の業界に、製造物責任の制度をいち早く導入されたパイオニア的な業績は今もアロマテラピーの発展に大きく寄与していると思う。

アロマテラピー用の精油と、一般の香料精油との違いはなにか、アロマテラピー用として使うには、学名、産地、抽出法の表示が不可欠。これがなければ、アロマセラピストは安心して使用することができない。いまではあたり前のことなのだが、この制度の意味はとても大きなものである。

スクール制度やアロマテラピー検定制度は、世間に大きく知られる花形事業であるが、実はこの精油委員会の仕事なくしては、日本のアロマの発展はなかったのではないか。。。という影の功労事業である。


今回は、訃報を受けて緊急のブログとなった。心からご冥福をお祈りしたい。
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by libranatutherapy | 2012-10-06 18:55 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(11) アロマテラピーアドバイザー
(公社)日本アロマ環境協会(AEAJ)の起源は、日本アロマテラピー協会(JAA)である。JAAという名を日本アロマコーディネーター協会も使用していたことと、日本トランスオーシャン航空が商標登録していたこともあって、すぐにAAJ=Aromatherapy Association of Japanと改められた。

さて、この協会何のための協会だったのか?

アロマテラピーの安全で、健全な普及を目的として設立された協会であったので、法令順守と安全面の啓発活動が急務とされていた。

それと、やはりアロマテラピースクールを運営する中で、生徒が何らかの資格を取りたがる・・・これに対応するというのも、正直あったとおもう。

そこで、1年かけて作られたのが、アロマテラピーアドバイザー制度だった。

当初、理事会では「スクールを運営する会社のために、資格を作るのは反対だ」という意見も多かった。
安全を知らしめるなら、講演会や広報をするべきだ、という意見もあった。

資格をつくることの是非が、いつのまにか、スクール企業対精油メーカーとの対立の構図にすり替えられていくことに疑問を感じながら、私は資格制度の創設を主張し続けた。

また当時の会員の多くは、理事長の運営するハーバードハウスとライブラの生徒であったから、資格への期待は、会員の期待でもあった。

英国には、IFAやIFPA のようなアロマセラピスト資格がすでに存在していたが、日本の状況はまだ、セラピスト、、という資格そのものへの懐疑的考えも多かった。セラピストというのは違法ではないのか?という考えを持たれる理事もいた。

そこで、生まれたのが「アロマテラピーアドバイザー」資格である。

精油の背後に潜む潜在的な危険性を知り、注意深く安全に扱い、
法令を順守したアロマテラピーを普及し、精油販売の現場での違法や説明や危険な用法に注意を喚起するのが、その目的であった。

その準備には1年を要した。

常任理事・スクール委員長であった私は、このプロジェクトの責任者として陣頭指揮をとることになった。

まずは、何を教えるか?である。

精油の隠れた危険性。正しい使い方。注意すべき精油。法令(薬事、PL、あはき)ということになった。

おりしも、世間ではPL法(製造物責任法)が施行されたばかりだったので、これも盛り込まれることになった。

当初の制度は、現在のように検定から入るのではなく、まずは

①「入会」
②「アドバイザー試験申し込み」
③「アドバイザー講習会への出席
④「アドバイザー試験」

というながれだった。この流れがどうして今のような、検定先行の制度に移行することになったかは、
また、後ろの連載にゆずることにしよう。
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by libranatutherapy | 2012-10-04 06:59 | アロマの履歴書