ライブラナチュテラピー株式会社 社長ブログ
ライブラナチュテラピー株式会社
アロマテラピーブランド「ライブラナチュテラピー」商品の製造販売やサロン運営、「ライブラ香りの学校」の運営など、全国を拠点として「セラピー」「癒し」をお届けしています。
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今年4月ライブラナチュテラピーとライブラ香りの学校は25周年を迎えます
ライブラナチュテラピーとライブラ香りの学校は、今年4月で25周年の誕生日を迎えます。

2013年1月現在の受講生の累計(重複なし)は、なんと約1万人にのぼります。
お客様総計では、6万ににものぼります。学校については名実ともに世界1位であることはまちがいありません。

本当にありがとうございました。四半世紀にわたり、ライブラのアロマテラピーを、学校、商品、サロン運営ともに支えてくださった、お客様のおかげです。

さて、その感謝を皆様に伝えたくて、イベントを企画しました。

6月4日(火)東京のロイヤルパーク汐留タワーで、ライブラ香りの学校25周年記念講演会&パーティを開催いたします。

記念講演のメイン講演は、ザ・シークレット、前世療法、富を引き寄せる科学的法則、などの翻訳で有名な山川紘矢先生です。山川先生のスピリチュアル本の翻訳の裏話や、スピリチュアルな生き方などをうかがえるといいなとおもっています。

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前座を務めますのは、わたくし林です。

アロマテラピーの母、マルグリット・モーリーについてお話させていただきます。

また、パーティは、着席コース料理を用意しました。華やかなホテル・バンケットをお楽しみいただきたく、
お料理は結構気合をいれています。

そして、パーティのメインイベントは、ラスベガスやTV番組の出演でも知られる、マジシャン都々さんの登場です。都々さんと、大都(やまと)、遊都(ゆうと)という、若手のマジシャンがみなさんのテーブルで、テーブルマジックを魅せてくれます。その後、、ステージに上がって、大掛かりなショーを繰り広げます。

このマジックのギャラは、みなさんの参加料金には、オンしておりません。
つまりは、ライブラと林の自腹ということです。

お料理代、席料はご負担いただくことに心苦しくおもいますが、どうか、心ばかりのマジックショーをおたのしみください。

お申込みは、ライブラホームページまで、どうぞ。
みなさまのお越しを心から歓迎いたします。

http://www.libra-school.net/info/20130604_01/index.html
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# by libranatutherapy | 2013-03-22 17:10 | 会社的お知らせ
 
13年2月号aromatopia にコラムを寄稿しております
アロマの母、マルグリット・モーリー 林 皇毅(伸光)
 アロマテラピーの教科書に必ずと言っていいほど登場するモーリー夫人です
が、彼女自身について、あるいはその著書『生命と若さの秘密』についてはあ
まり知られていません。                        
 彼女はオーストリアに生まれ、若き日に第一次大戦で夫を失うという不幸に見舞われました。その後、看護師見習いをしながら苦しい生活を送っていましたが、40歳を過ぎて東洋医学を専門とする医師、モーリー氏と再婚しました。
彼女は夫とともに古今東西の若返りの秘術を研究する美容家としての人生を再スタートさせたのです。                                  
 ある日、彼女はスイスの秘密病院で、富裕層を対象にした「新しい細胞療法」と呼ばれる怪しい秘術を目撃します。母羊から胎児を取り出し、その臓器をミキサーにかけ注射するというものでした。
クライアントは激しい拒絶反応を経ながらも若返るのです。これを見た彼女は深い悲しみに包まれます。「こんな非情な黒魔術のような治療法は許されない」と思ったのです。           
 
その後、天は彼女にインスピレーションを与えます。ガットフォセ氏の精油を使う療法を応用することでした。動物の臓器を注射するのではなく、植物の精気(精油)を手技によって体に浸透させて
いく方法を思いついたのです。これが、彼女のアロマテラピーの始まりです。  
        
 彼女は人間の血液にはある種の電気的な特性があり、この状態の乱れが健康を損なったり、老化を起こしたりすると考えました。今日、精油はプラスとマイナスのイオン的な傾向を持っていることが知られていますが、芳香植物の精油の持っている電気的な傾向は、これを修復するというのです。彼女は「個人的な処方箋=Individual Prescription=IP」を処方することを提案していますが、このIPは実は現在のアロマテラピーで行われている症状別ブレンドの概念より、もっと個人の体質やメンタル面の状態などを加味したものであるということを皆様に強調しておきたいと思います。モーリー夫人流のIPは複数回行われる一連の施術の期間は、ほとんど同じ処方を継続して使います。ですから、症状に合わせた、というよりむしろ、個人ひとりひとりの個性に合わせたオリジナル香水というような位置づけなのです。このあたりは、現在の薬学的な発想のアロマテラピーとは相当隔たりがあるように思います。 
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f0045769_18374528.jpg                                   
 モーリー夫人は2度、英国に渡り講演を行いました。たった2回の講演は植物好きの英国人の気質
に合ったのか、ものすごい反響でした。そして本の英訳版も1964年に出版されました(フランス語
の原書は1961年の出版)。                                
 私は友人のイブ・テーラーさんにバラの絵のある黒い表紙の英国版の初版を見せてもらったことが
あります。また、モーリー夫人の手技は英国人美容家、ミシェリン・アルシエさんに引き継がれました。
イブ・テーラーさんや、同じくIFA元会長のジョアンナ・ホーさんもアルシエさんから手技を学んだ
と本人たちから聞いています。今、世の中はアンチエイジングのブームですが、そのパイオニアはモー
リー夫人だったと言えるのではないでしょうか。            
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# by libranatutherapy | 2013-01-31 18:38 | 執筆活動・書評
 
英国ラグジュアリースパブランド、Elemis 大阪にお目見え
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大阪梅田ヒルトンプラザウエスト3階
ライブラナチュテラピー

発売元 スタービューティ
輸入 ライブラナチュテラピー

です。
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# by libranatutherapy | 2012-10-22 19:04
 
皆様、誕生祝のメッセージありがとうございました
ブログ読者の皆様、FBフレンズの皆様、たくさんのお祝い、心温まるお言葉を多くいただきました。
ありがとうございます。

誕生日の今日もいつものように忙しく、夜遅くの返礼となりました。
遅れましたことお赦しいただければ幸いです。

さて、50歳というのは大きな節目です。

そこで、もう昨日となってしまいましたが、誕生日のこの節目に感じたことを皆様に以下のように披露させていただきます。題名は「辞世ー敦盛」です。


【 辞世-敦盛 】


「人間(じんかん)五十年、化天(下天)のうちに比ぶれば、夢幻の如くなり」
神戸須磨の浦で平敦盛を討った熊谷直実が、若き敦盛を討ったことを後悔した後に出家して詠んだ章句の一節です。

信長が桶狭間に向かって出陣するときも、彼はこの敦盛を吟じて舞ったといわれています。

この章句は人の世は50年、化楽天(化天)すなわち人や畜生が住む世界のより一つ上にある天界の一日にくらべれば、夢か幻のような短い時間にすぎないと、人生の無常を表現しているものであるらしいのです。

当時の中世日本の平均寿命は50歳。

とするならば、私はもう人生の幕を引く年齢となりました。
明日死んでもおかしくないということでです。

明日死ぬとしたらどうだろう。

そう私は自分に問うてみたのです。

それが、結構いい人生だった気がするのです。

もちろん、立派な業績も、大きな会社も残せた人生ではなかったかもしれないでしょう。
しかし多くの人と出会い、心を通わせ、感情を楽しみ、泣いたり笑ったりもした。

実に愉快。そして充実した人生であったように思うのです。

私の人生で出会いをいただいた人たちの中には、志半ばにして倒れた友、まだ生きたいと願いながらも死んでいった親しい人がいます。

その者達の無念に想いを馳せれば、この50年という時間がとても愛しく感じられるのです。

今となって思えば、物質的な豊かさや地位や名誉など、たまたまめぐりあえば幸運だが、
巡り会えずともどうってことはないように思えます。

ましてや、それを追い、苦しむこと必要など何もないのです。

大切なのは、こころ豊かに、安らかに、楽しく、朗らかに、生きてこられたかどうかです。

そういう意味において私の人生は、まあまあ良かった。そして、50歳を機に新しい一日一日を、生きているだけで丸儲けとおもって、精一杯生きてみようかとおもうのです。

この世の誰もが、自分の寿命を決めることはできません。

そうであるならば、今日のこの一日が、一瞬の閃光で消える線香花火のような最後の一日なのかもしれないのです。

だからこそ、私はよろこんで生きたいのです。

先に逝ったあの人たちが、どんなに望んでも迎えることができなかった、その今日を私はいきているのですから。
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# by libranatutherapy | 2012-10-19 01:57 | 日記
 
アロマの履歴書(12)表示基準適合精油制度
2012年10月5日(金)、昨日のことであるが、悲しい知らせが届いた。日本のハーブ、アロマテラピーの発展に大きな足跡を残した、サンファーム商事の尾上豊さんの訃報である。

尾上さんは千葉県大多喜村のサンファームとともに、サンファームブランドの商品を扱う商社、サンファーム商事を東京で立ち上げられた人物である。

サンファームは、今を思えば不思議な会社であった。農園本体は千葉県、フランチャイズの三春サンファーム、そしてサンファーム商事、それから兵庫県香寺町の関西支部があった。関西支部はその後、香寺ハーブガーデンとして活動し、サンファーム商事もそれらとは独立した会社であったのだが、同じサンファームブランドを扱っていた。

それはさておき、尾上氏はロバートティスランドブランドの精油の輸入元として英国に太いパイプをもっていた。私は尾上さんとロンドンで合流し、チェルシー・フィジック・ガーデンにご一緒させていただいたことがある。

尾上さんは、イギリスのハーブ植物療法の通信講座を手掛けられており、ロンドンでは、いろいろな方をご紹介いただいた。その一人に、著名なアロマセラピストであるイブ・テーラーがいた。
いまも、イブ・テーラーさんとは親交が続いているが、そのきっかけを与えてくださったのが尾上さんであった。

彼はアロマテラピー協会の創設者のひとりであり、スクール中心の協会運営に突き進む私の手綱をしっかりにぎって、バランス感覚のある意見を言う方で、いつも、尾上さんの鋭い指摘にタジタジのこともおおかった。

とても温厚な性格で、人柄のよい性格で、皮肉を柔らかく笑顔で伝えることでは、名人であったように思う。


自らは、精油委員会の委員長として、精油の生産地、学名などの属性データや、PL法に基づく注意警告表示の徹底を、「表示基準適合精油」として認定することを発案され、推進された。

精油の業界に、製造物責任の制度をいち早く導入されたパイオニア的な業績は今もアロマテラピーの発展に大きく寄与していると思う。

アロマテラピー用の精油と、一般の香料精油との違いはなにか、アロマテラピー用として使うには、学名、産地、抽出法の表示が不可欠。これがなければ、アロマセラピストは安心して使用することができない。いまではあたり前のことなのだが、この制度の意味はとても大きなものである。

スクール制度やアロマテラピー検定制度は、世間に大きく知られる花形事業であるが、実はこの精油委員会の仕事なくしては、日本のアロマの発展はなかったのではないか。。。という影の功労事業である。


今回は、訃報を受けて緊急のブログとなった。心からご冥福をお祈りしたい。
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# by libranatutherapy | 2012-10-06 18:55 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(11) アロマテラピーアドバイザー
(公社)日本アロマ環境協会(AEAJ)の起源は、日本アロマテラピー協会(JAA)である。JAAという名を日本アロマコーディネーター協会も使用していたことと、日本トランスオーシャン航空が商標登録していたこともあって、すぐにAAJ=Aromatherapy Association of Japanと改められた。

さて、この協会何のための協会だったのか?

アロマテラピーの安全で、健全な普及を目的として設立された協会であったので、法令順守と安全面の啓発活動が急務とされていた。

それと、やはりアロマテラピースクールを運営する中で、生徒が何らかの資格を取りたがる・・・これに対応するというのも、正直あったとおもう。

そこで、1年かけて作られたのが、アロマテラピーアドバイザー制度だった。

当初、理事会では「スクールを運営する会社のために、資格を作るのは反対だ」という意見も多かった。
安全を知らしめるなら、講演会や広報をするべきだ、という意見もあった。

資格をつくることの是非が、いつのまにか、スクール企業対精油メーカーとの対立の構図にすり替えられていくことに疑問を感じながら、私は資格制度の創設を主張し続けた。

また当時の会員の多くは、理事長の運営するハーバードハウスとライブラの生徒であったから、資格への期待は、会員の期待でもあった。

英国には、IFAやIFPA のようなアロマセラピスト資格がすでに存在していたが、日本の状況はまだ、セラピスト、、という資格そのものへの懐疑的考えも多かった。セラピストというのは違法ではないのか?という考えを持たれる理事もいた。

そこで、生まれたのが「アロマテラピーアドバイザー」資格である。

精油の背後に潜む潜在的な危険性を知り、注意深く安全に扱い、
法令を順守したアロマテラピーを普及し、精油販売の現場での違法や説明や危険な用法に注意を喚起するのが、その目的であった。

その準備には1年を要した。

常任理事・スクール委員長であった私は、このプロジェクトの責任者として陣頭指揮をとることになった。

まずは、何を教えるか?である。

精油の隠れた危険性。正しい使い方。注意すべき精油。法令(薬事、PL、あはき)ということになった。

おりしも、世間ではPL法(製造物責任法)が施行されたばかりだったので、これも盛り込まれることになった。

当初の制度は、現在のように検定から入るのではなく、まずは

①「入会」
②「アドバイザー試験申し込み」
③「アドバイザー講習会への出席
④「アドバイザー試験」

というながれだった。この流れがどうして今のような、検定先行の制度に移行することになったかは、
また、後ろの連載にゆずることにしよう。
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# by libranatutherapy | 2012-10-04 06:59 | アロマの履歴書
 
日本人の信仰(1)恵みの神と祟り神
アロマの履歴書ばかりで、すこし食傷気味のかたもいらっしゃるかもと、ちょっとちがうテーマを挟んでみました。

【日本人の信仰】

日本独自の信仰といえば、神道(しんとう)です。明治維新以降の政治的なイデオロギーに利用されたため、軍国主義日本の象徴のようなイメージを持つ人も少なくありません。しかしながら、もともとの神道は、古代の人々の生活の中なら生まれた信仰心、すなわち自然を畏れ、親しみ、敬ってきた人々の自然な心から生まれてきたものです。

科学技術や医学が発達する前、自然は豊穣の恵みを与えてくれるありがたい存在であり、命を与えてくれる偉大な力でした。一方、時として天変地異の災害や雷や大雨で、人々に脅威をもたらす存在でもありました。

古代の人々は、恵みをもたらす方を和魂(にぎたま)、祟り(たたり)をもたらす方を荒魂(あらたま)と呼びました。荒魂は時には河川の流れや山の形を変える力、すなわち新しい秩序を生み出す力を内に秘めています。時として破壊の力は新しい秩序のはじまりでもあるわけですので、肯定的な一面もあります。一方、和魂は優しく見守る力、成長と発展の力を持つ存在です。

荒ぶる祟りの魂を丁重に扱うことで自然の脅威を鎮魂し、恵みの魂に感謝するという、日本人の「和」の心の原点がそこにみられます。

伊勢神宮などには、天照坐皇大御神をまつる正宮のすこし外れた小高い丘の上に、天照坐皇大御神荒御魂をまつる荒祭宮(あらまつりみや)があります。

このような自然への深い洞察と調和的な解釈をもって発展してきた日本の文化は自然を壊さず、自然を支配しないことをしきたりとしてきました。

今日、地球の環境に対する関心がたかまり、自然をそのままに守る考えや、また自らの暮らしを持続可能な方法で営み、自然の方法で健康を管理する。そのことが当たり前のようになってきたことは、喜ばしいことだと思います。

そのアイデアは、そもそも日本の文化のなかに、はじめからあったもので、西洋的なものばかりを日本の人々が取り入れるだけでは、いけないのではないか?
むしろ、日本の人々がいまこそ、そのすばらしい自然本位の文化を再確認し、世界にむかって声をあげるべきではないか?

そんな思いがあって、私は香房花舎をはじめました。日本の自然療法を語るにはまず、日本人がもっていた、自然観、その哲学を基礎となった宗教観をふりかえってみるのもまた、意義があることとおもいます。日本の伝統的な自然療法とかかわりのある日本人の信仰について考えてみたいと思います。
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# by libranatutherapy | 2012-09-09 23:24 | ヒポクラテスな暮らし
 
アロマの履歴書(10)日本アロマテラピー協会の設立
日本アロマテラピー協会の設立

今では、検定受験者総数25万人を数える大組織となった公益社団法人日本アロマ環境協会であるが、その始まりは、意外にも小さく、質素なワンルームマンションからの出発であった。住所は飯田橋駅近くの千代田区富士見1-5-1-302と記憶している。

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この時もフレグランスジャーナル社の津野田社長はとても尽力された、マンションを契約し、スタッフを一人雇い、そしてコピー機も自らのポケットマネーで設置した。この協会の設立には、彼の相当な決意と思いがあったにちがいない。

このワンルームの事務所には、会議用の小さなテーブルがあり、そこに発起人(のちの常任理事)が6人ちょこんと腰かけて会議がなされた。本当に6人でいっぱい、いっぱいのテーブルと、折りたたみのパイプ椅子だった。この時の発起人は、栗崎小太郎氏、津野田勲氏、宇田川遼一氏(現AEAJ理事長)、林真一郎氏、尾上豊氏、そして私、林伸光だった。

最初はまず、設立へこぎつけることが第一のハードルだった。設立日は96年4月1日、総会は4月6日とすることとなった。初代理事長は前掲の我が恩師、栗崎小太郎氏、ほかの5名は常任理事ということになった。会長は名誉職なのであるが、最高顧問として学術的にも権威の高い、横山三男(当時、久留米大学医学部名誉教授)が選ばれた。
組織は、もちろん任意団体である。理事長の栗崎氏が対外的には総責任者であるが、申し合わせにより後の5人も連帯して責任を負うという、合名会社的な責任分担、すなわち6人が無限責任を負うということだった。

設立に向けて定款を作る作業が開始された。私(林)は、神戸市の職員をしていた経験と、社団法人日本青年会議所のメンバーで、社団法人運営をしていた経験を生かして、定款を社団用に作り上げ、その校閲を友人で弁護士の亀井氏(豊島・亀井・和氣法律事務所)に依頼した。彼は多忙な中、わずかな謝礼でこの仕事を引き受けてくれた。

会員集めは当初、困難だった。何せアロマテラピーの安全で健全な普及を目指すだけで、資格制度や会員になったときのメリットなど、はっきりとしたものは何もないのだから当然である。そこで、学校の生徒を多く抱える栗崎理事長と私は自らの運営するアロマテラピースクールの生徒に呼びかけ、栗崎理事長は約200人、私は約100人程度を集めた。のこりは、ほかの発起人たちのよびかけにより集まった法人を中心とした約50社(人)くらいだったとおもう。

総会時の会員は約450名、そのうち250名ほどが、水道橋のヴォーリスホール(明治学院の施設)に集まった。総会の司会は私であった。緊張感いっぱいで、設立議案を採決した。可決されて、胸をなでおろしたのを覚えている。とにもかくにも、私は公務員時代等の杵柄で、事務処理や会議をこなす能力に長けていた。

振り返れば、その後大きく成長する(公社)日本アロマ環境協会の原点であるが、今の同協会とは隔世の感を禁じ得ない。また、この原点を覚えずして今の協会はないということであるが、現在のメンバーには、ほとんど知られていない始まりの瞬間である。

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# by libranatutherapy | 2012-09-04 16:08 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(9)アロマテラピーフォーラム95
95年は阪神淡路大震災の年であったが、その秋、日本のアロマ界において歴史的なイベントが開催された。「アロマテラピーフォーラム95」である。

フレグランスジャーナル社社長の津野田さんの音頭で、同社主催のイベントとして開催されたのであるが、
その際のパネルディスカッションに私は招かれた。これも、震災の時のやり取りの中、津野田社長が私のことを気にかけてくださっていたからかもしれない。

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誰がパネラーとして発表したか、記憶は薄れているが、写真は左から慶応病院の三好ゆかり先生、私(林)、薬剤師の増田(熊谷)千津先生、マザーズオフィスの宮川明子先生であることがわかる。(写真右下の日付はまちがい)

この時のディスカッションでは、アロマが注目される状況において、日本のアロマテラピーはどうあるべきか?
というような漠然とした話題であったとおもうのだが、津野田社長の思惑では、「協会設立の必要性」という落としどころがあったように思う。私も、「精油は使い方を誤ると危険、まずは安全を確保するための業界の自主手な注意喚起が重要で、そのためには一業者がするのではなく、団体のようなものが必要」と発言した。

ある意味、その後の日本アロマテラピー協会(現AEAJ)の設立に向けての方向性が打ち出されたイベントであったことは間違いないだろう。

このイベントの後、年の瀬も押し迫った12月の中旬、私は東京丸の内のある会議室に呼び出された。そこには津野田社長をはじめ、栗崎小太郎先生、尾上豊氏、宇田川遼一氏、林真一郎先生、そして私の6名がいた。「日本アロマテラピー協会」の設立準備会であった。

ここに後に公益社団法人にまで成長する、日本アロマテラピー協会の最初の瞬間があった。また、この会議の招集において、フレグランスジャーナル社の津野田社長はいつも中心的な役割をはたしていたが、後に各方面からのいろいろな意見におされたこともあってか、「マスコミに籍を置く者は中立であるべき」として、潔く、この表舞台から退かれたのである。

この協会の設立と前後して、日本アロマテラピー学会、アロマコーディネーター協会、少しおくれてNardなどが設立され、マスコミ人としての立場が難しくなったというのが、その理由らしかった。しかし、津野田社長の業績は、彼をAEAJの生みの親として讃えるのに十分なものであるとおもう。
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# by libranatutherapy | 2012-08-28 12:56 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(8)阪神淡路大震災がアロマに「癒し」というはっきりとした方向を与えた
1995年1月17日午前5時46分、神戸、芦屋、西宮、淡路島の北部を中心に震度7の地震が襲った。ゴーッという地響きで目をさました次の瞬間、激しい揺れにみまわれた。

私は長女と並んでシングルのベッドで寝ていたが、その2つのベッドがまるで拍子木にように、ガンガンとぶつかり、隣の家屋の屋根瓦のすべてが滑り落ち、我が家の壁に激突する音は、まるで飛行機が墜落したのかというような音。隣の家は全壊であった。我が家や新築3か月であったが、早くも亀裂がはいってしまった。
それも、その筈、いろいろなことがわかってくると、近所で高速道路から、バスがぶら下がっている。
亀裂程度で済んだのは、不幸中の幸いだったのだ。

私の人生は、この地震で大きく変わったとおもう。いい意味でも、悪い意味でも・・・悪い意味はおいておこう。
いい意味では、「癒し」に日本中の人々の目が向いたということだ。
ボランティアが、大挙して被災地に向かったのもこれが最初の大事件であった。

アロマが進むべき方向、それはホビーなのか、医療なのか、方向性は定まっていない時期にあって、
「癒し」という方向性を得たのもこの災害が、あったからこそとも思う。

その震災においての忘れられないことは、ボランティア活動の芽生えである。
日本人がボランティアに目覚めた事件といって過言ではないが、まだまだ独りよがりで未熟なレベルであったことは否定できないだろう。

その思い出のひとつ、フレグランスジャーナル社の津野田社長から、アロマや化粧品関係者からのお見舞いを届けたいが、林さんに送ったら必要な人に届けてくれるかと電話があった。
私は、仮設のお風呂で使う石鹸をおねがいしたところ、石鹸や入浴剤などが送られてきた。

全国から、被災地に何か役に立ちたいという思いで、物資が山のように送られてくる。
古着やスニーカー、タイ米など、だれも見向きもしないような、なかば粗大ごみ同然のものも多かった。
私は青年会議所のメンバーとして、体育館いっぱいになった物資を整理する仕事をしていた。
いつまでたっても、使いようのないものが山ほど送られてきては、無造作に積み上げられ、小中学生は
秋になっても体育の授業もできないありさまだった。

送る側の思いと、受け取る側の思いがまったく噛み合ってない状況で、山積みされた物資を前に途方に暮れる毎日だった。

ある日、あの津野田社長から、「林さん、石鹸を送った方がたに手紙でもなんでもお礼をおねがしします。何も言ってこないと怒ってらっしゃるかたもいるので。。。」との電話がはいった。

このときの、私の気持ちは、あえて書きたくない。読者の方が察してくださるに違いない。
私は広告費をつかってアロマトピアにお礼の広告を、寄付してくださった会社の名前を入れて気持ちをあらわした。この支援において、私のバランスシートは完全にマイナスであった。
また、支援者であるボランティアと、被災した私の間に挟まれて苦労されたのは津野田社長だったにちがいない。

テレビでは、被災地に行ってきたというタレントたちの武勇伝が語られる。
一方で被災者には、被災後の人知れない苦労がさらに追い打ちをかけてくる。
誰のための支援なのか???  わからなくなるばかりだった。

3.11の震災のことをみて、日本社会はずいぶん成熟したものだとおもう。神戸の教訓がいかされているとおもった。支援はお金で。(配られ方は問題だけれど)ボランティアは組織化され、職人的なたくましさすら感じるようになった。

震災から1年ほどが過ぎ、「兵庫県こころのケアセンター」からライブラに電話が入った。
仮設に一人住まいのお年寄りを相手に、アロマテラピーの授業をやってくれないか?
という、依頼だった。

お年寄りに、しかもアロマのオイルとは無縁とも思われる人々に何ができるだろうか?
私は悩んだ。自らの経験で身に染みているように、独りよがりなものになってはいけない。
そう思った。

私は、悩んだ末に、一人で行くのではなく、アロマの教室に通う生徒さんたちを巻き込むことにした。
ボランティアを募って、グループでアロマのハンドとフットのトリートメントを行うことにした。

はじめに私がアロマについての簡単なレクチャーを15分程度して、そのあと、お年寄りたちの手や足に触れ、さわるのである。

すると、「あー気持ちいいなー」「こんな若い人にやってもらって悪いな、でもうれしい」とか、
いろいろな反応。おおむねいい反応だった。

依頼をした側のこころのケアセンターの職員である保健師の方々からも、「こんな、おばあちゃんたちの姿はじめて」とか、「いつも、黙っている人がしゃべってくれた」とか、感激して私に話しかけてくれた。

お年寄りの中には、ボランティアの足をさすってくれる人さえもいて、いつも受ける側に回る被災者が
あえてボランティアのために行動することで、自尊心を回復することも分かった。

これは、アロマのパワーを実感したイベントであった。このイベントは好評で、そのあとも4,5回お呼びがかかることになり、何度も生徒さんたちの協力を得て、なんとかやりきった。

このとき、気づいたのは、カウンセリングとか、心のケアとかいう理屈には、いつも話を聞くという態度が大切といわれるが、その方法論で行き詰っていた仮設住宅のケアが、アロマとタッチング(香り、触れる)という要素で現実、成果があがるものになるということだった。これは、アロマ史上とても大きな発見である。

これは、のちにNYの同時多発テロ現場へのセラピストの派遣をしたIFAや、3.11にも引き継がれることになる。

この経験は、後に作られる、日本アロマテラピー協会のインストラクター資格にも生かされた。
いまのインストラクターカリキュラムのなかにある、「ボランティア論」「タッチング論」は、この私たちの経験から組み入れられたものである。

ボランティアはどうあるべきなのか???

タッチングは、人の心をいやすかもしれない!!

そんなことを、あの混乱の中、学んだような気がするのである。
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# by libranatutherapy | 2012-08-17 17:50 | アロマの履歴書