ライブラナチュテラピー株式会社 社長ブログ
ライブラナチュテラピー株式会社
アロマテラピーブランド「ライブラナチュテラピー」商品の製造販売やサロン運営、「ライブラ香りの学校」の運営など、全国を拠点として「セラピー」「癒し」をお届けしています。
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アロマの履歴書(19)スクールエデュケーションプロジェクトから香育へ
1999年、成功か失敗か?ひやひやしながら始まったアロマテラピー検定は、11月の実施をもって、なんとか成功といえるものだった。初めは1千万以上の赤字を覚悟して始めたのだから、上々の船出となったとおもう。
いまでは、30万人近い人が受験し、さらに進行形のこの検定は、今では協会の屋台骨となっているというのは、奇跡のようだ。

もちろん、資格関係者だけでなく、事務方の貢献も大きいとおもう。どんどん大きくなっていく、協会の事務をいち早くシステム化し、大規模な会の成長に先鞭をつけたのは、当時の事務局長の北原氏の功績とおもう。

一般の人々を対象にしたアロマ検定の成功に続いてはじまったのが、スクールエデュケーションプロジェクトである。未来のアロマセラピストや愛好家を、こどものころから育成しようというものである。

時期を同じくして学校完全週休二日とゆとり教育に呼応して、中高生のためのアロマテラピー教育を始めようという声があがった。スクールエデュケーションプロジェクト(SEP)と呼ばれる事業である。

このSEPの発案者は、同じく常任理事の市辺さんだった。はじめ常任理事会は、何のためにするのか、協会に利益はあるのか?と、懐疑的だったが、インストラクター資格者の活用、将来への長期的な視点で、とうとう論破して理事会を通過させた。市辺さんは神戸の政次さんん、そして私とともに、関西からでていた。関西対関東ではないが、いつも大政翼賛的になりがちな会議にアンチテーゼを提供し、あるべきバランスに導く役割を持っていた。特に京都の市辺さんの存在感は大きく、さすが1000年の都の学識を感じさせた。彼は日本アロマセラピー学会と協会をつないだキーマンでもあった。そんな中高生向事業を主導し、地道な努力と発足以後10年以上にわたって、この活動を文字通り、育て上げ「香育」として普及させたのは、リベレーション社長の小知和さんだった。小知和さんは子育てまっただ中の母親であり、本当に熱心に取り組まれていたと思う。私は彼女に頼まれて、SEPのテキストを編纂することになったのである。

いかに、面白く中高生の興味を引くことができるだろうか?
私は考えていた。その時、いつも資格制度の委員として私にいろいろな意見をくれていた、シュタイナー教育の実践者として有名な宮川明子さんが私に、「中高生を子供扱いしない方がいい、結構レベル高いから・・」と、助言をくれたのは大きかったとおもう。

いま、アロマテラピー検定のテキストの巻頭に書かれている
「地球の明日のために/私たち現生人類であるホモ・サピエンスは・・・・」から始まる、人類と植物の大河ドラマさながらの文章はこの時生まれたのである。



いまや多くの人が知っているこの文章は、中高生に何を伝えるか??というテーマについて、悩みに悩んだ末に、ふと光が降りてきたような感覚で書き上げた文章である。

植物と人間の関係、人類がいまも抱え続ける戦争や資源、環境の問題。それらを愛と信頼によって克服し続けてきた先人の努力。その素晴らしい遺産を引き継いでいるのが我々若い世代であり、これからもそれに挑戦し続ける、という大上段に構えた文章である。

はじめはSEPのテキストだけに掲載されていたが、検定テキストの改定の際に、検定テキストにも掲載されることになった。

私は自分が創作した文章のなかで、いまだに生涯を通じてこの文章が一番気に入っている。是非、このアロマテラピー検定のテキストのはじめをご一読いただければ、光栄の至りである。

この中高生に向けたメッセージが、のちに、協会が社団化されるためのきっかけになろうとは、だれが想像できたであろうか。
この文章はやがて環境省のお役人の目にとまり、アロマテラピーは環境問題の教育に貢献できる可能性があるというインスピレーションにつながったに違いない。

SEP(香育)から始まるこの、「天から降りてきた文章」は、その後のアロマテラピー界を大きく動かすことになるのである。


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SEP(香育)テキスト
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by libranatutherapy | 2014-01-11 22:31 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(17) アロマ資格制度誕生秘話③ アロマセラピスト資格
1999年私にとっては、アロマテラピー検定の成功のカギを握る年となったが、一方、大切な仕事も並行してのこっていた。アロマセラピスト資格の立ち上げだった。

少し記憶が薄れてきているが、98年の暮れだったとおもう。
私は、アロマセラピストの資格制度を調べるために、ロンドンの国際アロマセラピスト連盟(IFA)の事務局を訪問した。当時のIFAは、経営破たんに陥ったRQAとISPAを合併により救済するということの是非をめぐって揺れていた。
そのとき、出会ったのが、いまでは厚意にしてもらっている、事務局のポーリン・アレン(現IFA、CEO)だった。

これは当時のAAJ(現AEAJ)の常任理事としてではなく、非公式かつ自前の訪問だったが、訪問の目的は、アロマセラピストの規定書を手に入れることだった。このときIFAでは、シラバス(カリキュラム)を手に入れ、さらにNOSと呼ばれる規定書があると教えられた。

当時の英国のアロマセラピストは、日本いう労働省のような役所において、National Occupation Standard( NOS 英国職業標準書)という文書によって規定されていた。
私は、ロンドン市内の政府のオフィスでそれを50ポンドほどで購入できた。NOSには、解剖学などの知識を学ばなければならないこと、安全衛生上の項目、そして法規の遵守などがかかれていたが、おおむねIFAシラバスと同様だった。

またこれらの書類は、私たちスクール委員会が草案をねっていた内容とほぼ一致するもので、いずれの国も同様の思考プロセスを踏むものだと、ある種の驚きがあったと同時に、自分たちが考え練ってきたカリキュラムに自信を深めたのである。

1999年4月だったとおもう、検定制度のゴーサインとともに、スクール委員会は資格制度委員会とスクール委員会に分離され、2つの委員会に分業になった。そして、私は検定の立ち上げに責任を持つ担当常任理事となり、委員長を後任に譲ったが、引き続き資格制度委員会に所属し、アロマセラピスト資格の発足に立ち会うことになる。

いまから、思えば、あのIFA訪問が、スクール委員会が練ってきた内容の妥当性にお墨付きを与えたというわけであった。
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by libranatutherapy | 2013-12-15 13:11 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(14) アロマ資格制度誕生秘話①アドバイザーとインストラクター
精油1%の希釈基準、これは、日本のアロマ界では、よい意味でも悪い意味でも大反響だった。ある意味、アロマテラピーアドバイザー制度というのは、1%基準を浸透するためにあったといっても過言ではない。
そもそも、アドバイザー制度とは、阪神淡路大震災後の癒しブームによって、急速に広がった精油販売が拡大したことに始まる。一般の知識を持たない人々に対し、

①精油の安全な知識を事故を未然に防止し、アロマの社会的な評判を守ること
②アロマテラピーは、医療とも混同されやすいので、医療行為まがいのことをすることのないように告知する。

これが、アロマテラピーアドバイザー制度の目的であった。その中で、前述した1%の意義が大きな役割を果たしたのである。

アドバイザーの次に矢継ぎ早に発表されたのが、インストラクダー制度であった。

意外かもしれないが、このようなアロマテラピーのインストラクターという資格は、日本独自の資格制度であり、本場イギリスにはそのような資格制度はなく、アドバイザー制度もなかった。

英国では、ショップで精油を買うことは一般的ではなく、ほとんどが自分をケアするアロマセラピストから購入するという習慣が定着していた。そのため、使用上の注意や、使い方の指導は、アロマセラピストの仕事だったのである。


一方日本では、ハーブやポプリ教室といった文化教室的な分野からアロマテラピーが広がった。ハーブショップの店頭で行われるカルチャー教室として広がっていく中で、その場所を提供していたハーブショップがその販売を担っていたわけだ。ハーブショップは、雑貨店の一種なので、特別な資格のある人が販売するわけではない。もちろん、オーナーはよく勉強していることが多いが、販売員はアルバイトで知識がない。

そこで、アドバイザー制度が始まったのである。

カルチャー教室が、スタート地点であったわけであるから、当然、カルチャー(分化)として、アロマテラピーを教える先生が必要である。

それが、世界に類を見ない、アロマテラピーインストラクターという資格として具現化する。

アドバイザーせよ、インストラクターにせよ、日本独特のアロマ分化の醸成から、市場が拡大し、いまの巨大なアロマ市場にまで成長したことを思うと、あのころ、すごいことをしていたのものであると、感慨深い。当時、まだ、私は若干35歳の常任理事、スクール委員長であった。
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by libranatutherapy | 2013-07-04 10:53 | アロマの履歴書
 
アロマの履歴書(10)日本アロマテラピー協会の設立
日本アロマテラピー協会の設立

今では、検定受験者総数25万人を数える大組織となった公益社団法人日本アロマ環境協会であるが、その始まりは、意外にも小さく、質素なワンルームマンションからの出発であった。住所は飯田橋駅近くの千代田区富士見1-5-1-302と記憶している。

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この時もフレグランスジャーナル社の津野田社長はとても尽力された、マンションを契約し、スタッフを一人雇い、そしてコピー機も自らのポケットマネーで設置した。この協会の設立には、彼の相当な決意と思いがあったにちがいない。

このワンルームの事務所には、会議用の小さなテーブルがあり、そこに発起人(のちの常任理事)が6人ちょこんと腰かけて会議がなされた。本当に6人でいっぱい、いっぱいのテーブルと、折りたたみのパイプ椅子だった。この時の発起人は、栗崎小太郎氏、津野田勲氏、宇田川遼一氏(現AEAJ理事長)、林真一郎氏、尾上豊氏、そして私、林伸光だった。

最初はまず、設立へこぎつけることが第一のハードルだった。設立日は96年4月1日、総会は4月6日とすることとなった。初代理事長は前掲の我が恩師、栗崎小太郎氏、ほかの5名は常任理事ということになった。会長は名誉職なのであるが、最高顧問として学術的にも権威の高い、横山三男(当時、久留米大学医学部名誉教授)が選ばれた。
組織は、もちろん任意団体である。理事長の栗崎氏が対外的には総責任者であるが、申し合わせにより後の5人も連帯して責任を負うという、合名会社的な責任分担、すなわち6人が無限責任を負うということだった。

設立に向けて定款を作る作業が開始された。私(林)は、神戸市の職員をしていた経験と、社団法人日本青年会議所のメンバーで、社団法人運営をしていた経験を生かして、定款を社団用に作り上げ、その校閲を友人で弁護士の亀井氏(豊島・亀井・和氣法律事務所)に依頼した。彼は多忙な中、わずかな謝礼でこの仕事を引き受けてくれた。

会員集めは当初、困難だった。何せアロマテラピーの安全で健全な普及を目指すだけで、資格制度や会員になったときのメリットなど、はっきりとしたものは何もないのだから当然である。そこで、学校の生徒を多く抱える栗崎理事長と私は自らの運営するアロマテラピースクールの生徒に呼びかけ、栗崎理事長は約200人、私は約100人程度を集めた。のこりは、ほかの発起人たちのよびかけにより集まった法人を中心とした約50社(人)くらいだったとおもう。

総会時の会員は約450名、そのうち250名ほどが、水道橋のヴォーリスホール(明治学院の施設)に集まった。総会の司会は私であった。緊張感いっぱいで、設立議案を採決した。可決されて、胸をなでおろしたのを覚えている。とにもかくにも、私は公務員時代等の杵柄で、事務処理や会議をこなす能力に長けていた。

振り返れば、その後大きく成長する(公社)日本アロマ環境協会の原点であるが、今の同協会とは隔世の感を禁じ得ない。また、この原点を覚えずして今の協会はないということであるが、現在のメンバーには、ほとんど知られていない始まりの瞬間である。

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by libranatutherapy | 2012-09-04 16:08 | アロマの履歴書