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ライブラナチュテラピー株式会社 社長ブログ
ライブラナチュテラピー株式会社
アロマテラピーブランド「ライブラナチュテラピー」商品の製造販売やサロン運営、「ライブラ香りの学校」の運営など、全国を拠点として「セラピー」「癒し」をお届けしています。
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アロマの履歴書(6) 布引ハーブ園の思い出
新神戸駅の背後にある布引ハーブ園は、1991年の10月23日に開業した。その1年6か月前、当時の財団法人神戸市公園緑化協会の指名競争入札により、当社は312種類35000株のハーブの苗の育苗と、栽培マニュアルの作成、展示物の制作など総額400万円の仕事を受注した。

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一口にハーブといっても、ものすごい種類があった。ラベンダーは30種類以上、ゼラニウムは20種類以上、また、数も半端ではなかったイングリッシュラベンダーは5000株も作らなければならなかった。私は淡路島の伯父の農地にビニールハウスを建て、また父方の伯父の三田市の畑も借用して大量のハーブを栽培した。5000株ものラベンダーは挿し木ではとても間に合わなかった。

私は一粒一粒プラグと呼ばれる播種床に種をまき、間引きをし、ポットに植え替えるというノウハウを、淡路島の花卉農家から教わった。また、その農家にラベンダーの栽培を頼んだ。今では一宮町のお土産にハーブの苗が売られるようになったが、その時にかかわった人たちがされているのを知りうれしくなる。農家の生まれでない私だが、東京農大の通信教育で園芸を勉強し、そのころには、農家より農業のうんちくを知るようになっていた。接ぎ木、接ぎ芽、挿し木、摘花、剪定などの知識はいまでも役に立っている。

自然相手の仕事であるので四苦八苦しながらやっとのおもいで納品した。ラベンダー園には2000本以上を植えた。この仕事は我が家を挙げての仕事であったので、両親も一緒になって植え込みの仕事を手伝ってくれていた。私のハーブ屋としての仕事の始まりは、この両親なくしてはあり得なかったのである。

10月23日オープン当日、多くの入園者が押し掛けた。私も一人の入園者として園にいた。私は本音を言うと、ハーブ園の売店の仕事をしたかったのだが、まだまだ個人商店に過ぎない当社には声がかからず、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのダイエーグループの新神戸オリエンタルホテルが受託を受けていた。

その仕事をさらに下請として受けていたのは、神戸市内のトーマスという会社であった、開園の少し前トーマスの政次社長が当社を訪れた。彼は元気満々の青年実業家で、私と同じく青年会議所のメンバーであることが分かった。政次社長は、その後にアロマテラピー協会の役員になられるのであるが、長いおつきあいの幕開けでもあった。

オープン後、展示品のボリュームが足りないと感じたハーブ園の管理者から、展示品の追加調達を依頼されることがよくあった。中には直径1mにも達する大きなハーブのリースや、ドライフラワーで作った暖簾のような展示物。それらをいつも手伝ってくれていたのは、妻の久美だった。当時長男が生まれかけで、臨月だったが、突然受注した、1mのリース作りに奔走してくれた。制作に使う、ドライハーブを調達するために、大阪久宝寺のドライフラワー屋さんのミルキーウェイさんに行き、屋根裏の倉庫に急な階段を上がった。そのあと、突然破水し、その十数時間あと、長男が生まれた。1991年11月21日のことであった。開業以来、まだ小さな個人商店に過ぎなかったライブラを彼女はよく支えてくれていた。

オープン後、ハーブ園は、大盛況を続けた。日本中の香りファンたちが訪れ、日曜日や夏休みはいつも行列ができていた。その人気に水をさしたのは、1995年1月の阪神淡路大震災であった。ハーブ園は休園を余儀なくされ、神戸への観光客の大幅な減少とともに、運営が厳しくなってきたときいている。
布引ハーブ園はその後、行政改革の波に飲み込まれ、公的な業務を民間に委託する指定管理者制度により何社かの運営を転々としているが、我が国の香り文化にこれほど大きな影響を与えた公営施設はほかには見当たらない。アロマの歴史において輝き続ける大きな存在感をいまも保ちつづけている。
そして、私たちが植えたハーブの子孫たちが、日本の香り文化のとともにその生命をつないでいくことを願っている。
by libranatutherapy | 2012-08-06 15:05 | アロマの履歴書
 
 
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